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温泉県。

久々に飛行機。
ソラシドエア。響きが絶妙。
キャッチコピーは「空から笑顔の種をまく」。

これ、すごく好き(笑)。
最近では社名とキャッチコピーをセットでアピールするのがトレンドぽいのですが、
しっくりくるものは、社名だけ聞きけばキャッチコピーもセットで頭に浮かびます。
しっくりこないものは、どう頑張っても全然出て来ないけど...。
音感として記憶している、記憶させている。うまいですね。

大分県の玄関口、大分空港までは羽田から1時間ちょっと。
さすが温泉県。空港に足湯がある。

別府温泉とは、正確には別府八湯と言うらしいです。
どうやら8つの温泉の集合体の総称だということを知ります。
その8つは、鉄輪温泉、明礬温泉、堀田温泉、竹瓦温泉、浜脇温泉、柴石温泉、亀川温泉そして観海寺温泉。
今回は全部回ることはできなかったけど、6つ行けました(行きました。無理矢理ですが...)。


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まずは、一番の代表地の鉄輪温泉へ。
「かんなわ」と読むみたいです。最初はそれすらわかりませんでした,,,
狭いエリアに路地が駆け巡り、路地の両壁には旅館や売店、公衆浴場がひしめき合って並んでいる。
イメージする古き良き温泉街そのまんまでした。
鉄輪温泉では、「蒸し湯」を体験。
一面に藁を敷き詰めた窯の中で蒸される蒸される...最後の方は藁も相当熱くなって、足がつかないように少し浮かせる筋トレ温泉。
そして、有名な地獄めぐりですね。


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そして、浜辺まで移動して、「砂湯」も体験。
砂湯は、砂浜の一角にあって、目の前は一面の海。
顔以外の全て、ほんのりあったかい砂に埋もれて、一定のリズムに打つ波の音を聴きながら超リラックス。
スマホあづかるよーと言われ、渡すと、砂に埋もれた自分が写ってた(笑)。
今でも話のネタになっとります。

そして、一番行きたかった「泥湯」の明礬温泉へ。
泥湯はワイルドそのもの。目の粗い砂から細かい砂まで、落ち葉に混じって湯船の底に堆積してて、手でごっそりとすくえる。
湯船もたくさんあって、湯の数と、湯の個性の強さでは一番でした。

景色を堪能するなら観海寺温泉かと思います。
泥湯に比べると、さらっとしたお湯で「個性が強いお湯」...ではないのですが、
別府の街を一望できる眺望は最高。夜行くのもいい感じだろうなぁ。


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別府の町も最高。
イカした路地裏を探しながら、面白そうなお店を探しながらふらふら街を歩く。
そこの曲がり角を曲がると唐突に温泉。次を曲がると唐揚げスタンド。
また曲がると猫が道の真ん中でニャーニャー鳴いてる。
そんな街。

歩き疲れたら、そこの曲がり角を曲がって気が向いた酒場へ。
別府駅から海岸までの狭いエリアには、公衆浴場や酒場がひしめきあってる。
この街はもう相当シアワセだと思う。
九州は地元愛が強い地域が多いと聞きますが、別府もたぶんそうだと確信しました。
狭い地域にギュッと凝縮された街です。

あいにくの天気の日もあったけど、本当にいい街 別府。
行けなかった柴石温泉と堀田温泉に行きたいな。
また飛んでみよう。

本当に有難い。

2018年も、もうあと数日で終わります。
自分にとっては、6年目の年が終わろうとしている。
これまでずっとお話をいただいてきた皆さま。
今年初めてお会いして、お話をいただいた皆さま。
本当に有難いです。

何処かの誰かに「それなら、こんなヤツいるよ」と紹介していただいて、
そこから繋がり始める。
そんな静かで亀足な歩み、これこそ自分の理想形です。

これまでいろいろお話をうかがうと、
・最新のトレンドと先端の技術がないと実現できないカタチ
・技術はそれほど必要ではないが、より深く寄り添わないと実現できないカタチ
の2つの種類のお話に大きく分けられるような気がいたします。

そして、その2つの中でも後者の方のお話が断然に多いのです。
地域柄なのか、自分がそういうお話が来やすい立場にいるのか...。
おそらく、前者はバリバリ精鋭部隊が揃ってるところに集まってくるのかな。

そして、個人的にも後者を長く深くずーっとやっていきたいと思います。
でも、「その長く深くやっていきたいこと」も、前者に関するご質問を受ける割合が徐々に多くなってきました。
ウェブ(も含めインターネットを使ったプロモーション技術)が目まぐるしく進化し、
そして、今では日常的に使う・分かる・知ってる技術になってきて、
「専門家だけが触れる」という小難しいものではなくなってきました(これは良いこと)。

でも...
最新のトレンドや技術の進歩は、目まぐるしく変わっても、
ほとんどのケースにおいてその技術が流行るひとつ前の素養があれば、
応用で理解・展開できる...と勝手に思っておりました。

それが、全く新しい発想・思考から生まれるものも多くなってきているように感じます。
これまであった技術と技術を、発想という接着剤で結びつけたような真新しいもの。
そうなると「それ」がバージョン1になるので、完全にイチから新しく勉強しないといけない。
そして重要なのは、その技術が生まれた「目的」なんだろうと思います。

「なぜ求められたのか?」「なぜ産まれたのか?」をより深く考えないと、
教科書丸暗記みたいなことになり、本来の「思い」をうまく汲み取れないのです。
そんな残念なことはないよね。
その技術が生まれるまでに、たくさんの人が汗を流して、
知恵を絞って組み上げたものだと思うので。

インターネットの世界は、本当に日々「新しい技術」が産まれては淘汰したり、
あるいは、様々な人の思いが加わることで、もっと便利に汎用的に簡潔に別な形になったり。

兎にも角にも「めまぐるしい」。
そして、これからはその「知らない・使ったことない」という新しい技術も、
日常に埋没せずにアンテナ張って取捨択一して、
「理想の形」に添えることが大切なのだと思います。


そんなことを考えながら、
今年も点灯した佐貫駅西口イルミネーションの写真を撮ってました。 IMG_5444.jpg

今も昔も、人間なんてそう変わらない。

東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道。

江戸時代、日本橋を起点として東西南北へ伸びる交通の基幹街道。

江戸時代のもっともっと昔から隣の集落へ行くための道くらいはあって、
隣の集落への道とその隣の集落への道が繋がり、
踏み固められ、整備されて、なんとなく「道」として定着して、
果てしなく繋がったその「道」が、いつしか日本橋まで繋がり、
江戸時代になって政治的な意図が働いて、今に知られる名前になったのかな。

そのひとつ中山道。日本橋から始まり高崎〜諏訪〜関ヶ原と、
西へ西へ繋がっていきます。
その中でも特に行ってみたいと思っていた木曽路。
贄川宿から始まり馬籠宿まで十一宿。

走ってみました。

車で 笑。


■ 奈良井宿

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奈良井宿は、古い街並みの雰囲気たっぷりの宿場町。
そして本当によく掃除されてる。。。すごいよ、ゴミひとつ落ちてない。
そして「ぼろぼろ」感はあんまりなくて、綺麗で品格のある古い街並み。
道幅が狭くなったり広くなったり...構造上なのか、故意なのか。
「桝方」という、万が一敵に攻められた際に、その進攻を緩めるため、
曲がり角を作りそれを阻む構造もあるようなので、
もしかすると意図的なのかもしれない。


■ 妻籠

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妻籠宿。
細いメインストリートは両側にびっちり建物が並んで、
雰囲気最高(個人的には電柱がないのもポイント)。
当時もそれはそれは賑わってたんだろうなぁと思う。
曲がり角にあるリズミカルに打つ水車、街中を流れる運河のせせらぎ、
のんびりした時間の流れ、軒先で響く笑い声、
どこからともなく漂う美味そうな匂い、どことなくアヤシいお店、
出し抜けに通りを横切るネコ、そのどれもが最高。

売っているものや食べ物、現代といろいろ異なるところはあるけれど、
人が行き交い、立ち止まって話をしたり、お店の前でつい微笑がこぼれたり、
喉の渇きや空腹を満たしたり、今宵の宿を求めたり、他の街の情報を得たり、
時には人を追いかけたり、喧嘩したり、心が揺れる人に出会ったり、
袖振り合うのも他生の縁。

そんな、心が躍りそうなコトは、今目の前にある情景そのもの。

人間なんて今も昔もそう変わらないのだろうから、
時が違えど、目の前にある情景は、
はるか昔、賑わっていた頃の街角なんだと思った。

■ 馬籠宿

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木曽路は、中山道の中でも特に険しい道のりで、
迷い込むと山姥に襲われるなどの言い伝え(?)がたくさんあるらしい。
善光寺に詣でるのも、木曽路を通らずわざわざ倍の道のりにもかかわらず、
北陸道から回ることもあったみたい。
そんな険しい山あいにも確実に人は住んでいて、人々の生活があったのだろう。
昔も今も人間なんてそう変わらないだろうから(今回2度目 笑)、
都の喧騒がイヤな人は、静かなこの地で、何処か居心地の良い場所を見つけて
ひっそりと火を灯していたのかもしれない。

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木曽路のメインストリート、19号線は心地よい道。
両脇に広がる山々。間を縫うように続く1本道。寄り添うように流れる木曽川。

昔の人もこの道をてくてく歩いたんだろうか。
川縁の岩の上で流れを見ながらおにぎりなんて食べて疲れを癒したりしながら。
突然の雨で宿場の軒先で雨宿りしながら。
そして、はるばる何日もかけて木曽路を確実に歩いたんだ。

受け継がなければいけないこと

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中学生の頃、
「空海 真言宗 高野山金剛峰寺、最澄 天台宗 比叡山延暦寺」
と習いましたよね?

暗記科目だった社会、実際どんなことが起こったか知ってますか?
僕は文字通りのことしか知らず、そしてそれに疑問も持たなかった。


ふと思い出したはるか昔(?)に習ったこのフレーズが頭をよぎりました。
空海ってそんなすごい人?
高野山ってどこだ?名前かっこいいけど。
金剛峰寺ってどんな場所?最初は「ぶ」が読めなかったよ。

そんな軽い気持ちで、高野山へ行ってみました。
天気は最悪、ずっと雨で、挙句に台風が真上を通っていく始末(苦笑)。



ひとりの人の感情の動きが、数え切れないほどの人に共鳴し、
その波動が徐々に日本中に広がり、やがて日本中を席巻する。

日本のどこかでぽっと沸いたたったひとつの感情が、
こうやって日本中を巻き込むムーブメントとなることでようやく教科書の1行となり、
そのおびただしい1行が重なり合ってあの教科書一冊になるんだよね。

その微かな1行になるために、
一体どれだけの血と汗(大げさかもしれないけれど)が流れたのだろうと...。


なんて考えながら雨の奈良へ。


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空海は、774年 讃岐国で誕生する。幼名を真魚(まお)という。
大学にも通ったけど、勉学に飽き足らず19歳で修行の道へ進みました。
相当優秀。おそらく地元では天才と言われていたのかも...。
四国八十八霊場も空海が修行を行ったことから今日まで受け継がれているようです。
そして、31歳で唐へ渡った。

運命的だと思ったのは、同じ船団に最澄もいたこと。
そして、荒天により船団のほとんどが難破してしまったのに、
空海と最澄の船はからくも大陸にたどり着いたこと。
(最澄の方が8歳くらい先輩だったようです)

空海が唐で出会った真言密教が、高野山の礎。


高野山 金剛峰寺...と言われていますが、
ここには無数の寺院があり、まさに「高野山全体」が信仰の場所なのだ。


写真の大塔には大日如来像(神様中の神様)が安置されていて、
日光如来・月光如来を左右に従えている。

ここがすごい。本当に神々しい。
その薄く開いた切れ長の目を見ていると、
心の芯まで見透かされる感じがする。
「ちゃんとみてるからな」って言われてる。

本殿の中は決してきらびやかでない、でも荘厳な佇まい。
数々の屏風絵に空海が辿ってきた道のりが描かれていて、
ひとつひとつに見入ってしまう。

おもしろいな...というか当たり前なんだけど、本殿には食堂がある。
そして料理場もある。大きな釜が3つもあり、
3つとも炊くと2000千人分のご飯が炊けたらしい。
当時数千人の僧が真言密教を信じ、この地へ入り修行をしていたのだから、
当然と言えば当然なんだけど、普通の寺社では決して触れられない、
「僧の生活」が垣間見れたことがとてもおもしろい。
修行とは、この地での生活そのものなんだと思う。

世俗から離れることで、独自信仰の道を歩んだ高野山は、
いつしか一大勢力となり、その強大となった勢力は世俗から恐れられてしまい、
世俗から離れたいのに逆にちょっかいを出されてしまう。
織田信長や豊臣秀吉が高野山を服従させようとしたことにも納得。。

織田信長が本能寺の変で倒れなければ、
今の高野山は別な形になっていたのかもしれない...。


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空海はこの地でご入定(ごにゅうじょう)する。
高野山には、少し離れた場所に奥の院という、
弘法大師廟がある。
廟までの道のりには20万もの墓がある。
戦国武将や偉人、現代の偉大な企業創立者の名もある。

この道の空気感は、これまで感じたことのないほど神々しい。
雨なのに、そしてなぜかお腹が痛いのに(笑)。

この先に佇む弘法大師廟ももちろん神々しいのだけど、
どちらかというとほっとするような静かな気持ちになったのとは逆に、
この参道は、心が揺れて揺れて落ち着かない。
おびただしい数の墓標は弘法大師を守ってる。

「見張られている」。

そう感じる。

この参道には、心が揺れるほど無数の魂が漂っているような気がした。
そしてその魂は、決して安泰な最後を迎えたものではなく、
むしろ、世情に翻弄され志半ばにしてこの世を断たれた魂が多い。
特に目が向いたのが戦国の猛将の墓標だったからかな...。


奥の院の駐車場に、高野山のPRポスターがあって、
冬の参道の写真が写っている。これがまたすごいイイんだ!!
かすかな空気の揺れる音すら聞こえないだろう「静寂」がそこにはあった。
冬に来るとまた全然違うんだろうなぁ。
車じゃ標高900mのあの山道は厳しいかもね。


また絶対にこなくてはいけない場所だと思った。
紀伊半島は、お伊勢さんに春日大社、東大寺や法隆寺、そして高野山...
数を並べたらキリがないけど、日本の信仰の原点なんだと思う。


こうなると、空海と一緒に唐へ渡り、
悟りを開いた最澄が気になり始めた。
比叡山延暦寺。

いつ行けるかな。


〜〜〜

「如来」と「菩薩」の違いってわかりますか?
細かいことは難しすぎてわからないけど、
奈良大仏みたいに、頭がパンチパーマ(螺髪というらしい)もので、
身なりはいたって質素な佇まいで、眉間に点(白毫というらしい)があって、
指が華麗に印を結んでいるもの。
これは如来像で、悟りを開いたまさに「神様」です。

菩薩像は、王冠や着衣など、豪華な装飾品をまとったり、物を持っていたりと、
派手(?)な出で立ちで佇んでいます。
まだ悟る前の修行の身です(来世で如来になることが約束されている...らしいです)。

〜〜〜




三方よしだよね?

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古い街並みを歩く。

近江八幡へ。

昔、伊勢商人、大阪商人と肩を並べて語られる近江商人発祥の街です。
一回聞けばすぐに分かる企業で、近江商人の流れを汲むところが数多くあるそうです。

近江商人が往来した街は駅から15分くらい歩いた八幡堀という、
豊臣氏が築いた水路を中心に、当時の面影を残す建物が点在してます。
町名も面白くて、当時の職種の集落が伺えます。
鍛治屋町、博労町、為心町、魚屋町、東畳屋町、鉄砲町...。

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八幡堀。
今のような綺麗な姿になるまでは荒れに荒れて手がつけられない状態だったようです。
地元の有志が市民に辛抱強く語りかけ、今の趣のある状態になったようです。

その時の投げかけが、
「死に甲斐のある場所」にしよう。
だそうです。

生き甲斐のある場所、働き甲斐のある場所はいくつもあるかもしれないけど、
人にとって「死に場所」はひとつ。
その場所...つまり近江八幡を「死に甲斐のある場所」にしようという言葉。

ぐっとつかまれる。
そんな風に思える場所があることはすごく幸せなんだろうなぁ。
そんな事を考えながら「近江商人」ゆかりの街を歩く。

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「三方よし」

近江商人の商いの思想。
三方とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし。」との意味らしい。

気持ちよく利益を得ること。
対価に見合うものを全力で提供すること。
この商売が必ずや社会のためになると信じきれること。

単純に当たり前だけど良い言葉。良い思想。

忘れてないですか??

と問われているみたい。


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飽きないこと。飽きられないこと。

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新年明けましておめでとうございます。

2012年に地元へ移り、3年目をなんとか納めることができました。
これまでに出会った方々、新たに出会った方々、
皆様にお会いできたこと、心から感謝を申し上げます。

元旦にリリース作業がないという、ここ数年では稀な2016年を迎えました 笑。

2015年も、大きな動きこそなかったように思いますが、
とても小さい歩みながら、
「街」の中で繋がっていく「街」を越えて繋がっていくことができました。

年末の忘年会で、いつもの方々と当たり前のように酒を囲むことができる。
実は一番大切なことかもしれないな...とふと思ったりました。
確実に精神がひとつトシをとった感。


ウェブの技術もどんどん進んでますね。
昔は数えるほどしかなかったCMSは、今では比較サイトができるくらい割拠してますね。
昔は、「これとこれしかない」から自分を選んだ方に寄らせる作業比重が多かった。
「扱えること」自体が結構な強みになってました。
今では、開発者が各々「かゆいところに届く」という目的意識を持って作られているので、
アプリ側がこっちに寄ってきてくれる。
「扱えること」自体の強みは薄くなってきてます。

でも、サイト自体にそんなに変化があるかといったら、
根本的な部分はそれほど変わってない気がします。
ギミック的な動きが増えてきたと思いますが、
Flash全盛期のインタラクティブ性に比べればそれほど強くない印象です。
つまるところ「内容」なんですよね。演出はスパイス。


今年読んだ本の中で、使われてたセンテンスがなぜか頭に残ってる。
確か...こんな文だったと思う。

利便性や快適さは、鮮度が落ちやすい生鮮食品みたいなもので、
賞味期限が切れるとすぐに人々から飽きられてしまう。

素材自体がメイン。
演出はスパイス。

飽きられないこと。
そして、生み出す側の世界の片隅にいる以上、自分自身が飽きないこと。


写真は、近所(...でもないけど)、大杉神社です。
日本で唯一の「夢むすび大明神」。


今年もよろしくお願いいたします。

物事の陰に苦労あり

IMG_2857.jpg今年も駅にイルミネーションが灯った。

昨年が初。今年で2回目。
今年も点灯式にお邪魔しました。

狭いロータリーのほんの一部の小さい小さい明かりだけど、
これだけのイルミネーションでも灯すまでの苦労は計り知れない。
申請や許可などの行政的手続き、電源の確保やレイアウト、メインの電球たくさん、
作業の段取りや、会場近隣への告知、協力の要請などなど...
準備する事は少し想像するだけでも覚えきれないくらい。


中心になっている方。
まだお会いして日は浅いけど、
とても印象深い言葉が脳裏に残っている。


「僕はボランティアが嫌いなんですよ」


いや...でも、どちらかといえばこれもボランティアな気が...。
そして、点灯式後、お酒の席で酔った勢いかもしれないけれど、


「みんなに喜ばれるとうれしいからやっちゃうんだよね 笑」


なんて照れ臭そうにおっしゃられました。
カッコいいと思った。
これだけの「仕事」を見せつけられたのでなおさら。


どれだけ口で自分を大きく膨らませても、
これがダメ、あの人がダメなど理路整然と評しても、
街角にプランターをひとつ作った人が勝ちだ。


3回目もより強く明るく灯ったらうれしい。

あの日から30年目。

IMG_5638.jpg1985年8月12日。
当時は11歳。

EXPO'85が開催された年。

その事故は小学生の自分には、「飛行機は怖い」という印象。
それよりも地元茨城で開催されたEXPO'85の方に
頭が向いていたと思う。

この事故が再び自分に近づいてきたのは、
クライマーズ・ハイという小説。

お盆休みの真っ只中、大阪に向けて羽田を飛び立った日航機は、
離陸後墜落までの34分間迷走を続けて、群馬県御巣鷹山へ墜落した。
未曾有の事故現場へ、道無き道を這いずり回りながら登り、
現場を目の当たりにした記者が第一報として寄せた、
記者雑感のくだりは脳裏に絵が浮かんで読んでる紙面が霞んだ...。


それからずっと行ってみたかった御巣鷹の尾根。


登山口までは車で登ることができ、登山口から頂上までは往復で1時間半くらい。
頂上にはコクピットが激突したとされる「×」と書かれた岩、「バツ岩」がある。
ここを起点に扇型に機体は折れ破片が散らばった。

そして、そこかしこに墓標が立っていた。
そこは犠牲となった方々が発見された場所。

墓標にはお名前、当時の年齢が刻まれていた。

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享年41歳。
今の自分と同い歳の墓標を見たとき涙が流れた。
この方は今の自分と同い歳のあの日、続いていたはずの歴史が突然断たれたのだと。
メッセージが彫ってある。
「やさしかったパパ」。


享年9歳。
この子は、今その歴史が続いていれば自分と同い歳くらい。
この子は何が起こっているか分からなかったのかもしれない。
ただただ本当に本当に怖かったと思う。
DNAレベルで、迫りくる「死」への警鐘が身体中で鳴り響いていたはず。





所詮人間が作り出したもの。
事故は無くならない。
でも限りなく0に近づけることはできるし、
自分が考えている以上に強烈なプライドと危機感を持って
安全を守ろうとしている「運ぶ」ことを生業としている方々に改めて感謝。

そんなことを考えつつ、激しい価格競争の中にある、
今の業界の流れはきっとなんかおかしい...とふと思った。



身近な移動手段でいうと車ですね。
その安全運行するための車検制度。
日本はとても厳しいですよね。

世界の車検制度を見てみると、
「制度はなく自己判断」という国々が結構あった。
先進国代表のアメリカもそう。

面白いのが欧州の国々。
ドイツは日本と同じ購入後3年、その後は2年毎。
イギリスは新車3年以降1年毎とより厳しい。
※ GSでできるみたいだけど。

それに対して、イタリアは製造後10年までは不要らしい。
逆にすべきじゃない?と思ったりした 笑。

Little by little and bit by bit.

DESIGN2015-retry.png新年明けましておめでとうございます。
はじまりました。2015年。

2014年に新たに出会えた皆さま。
そして、変わらずお付き合いくださった皆さま。
感謝感激雨あられです。

新たな一歩を進み始めて4年目となりました。
まだゆっくり2015年を思い描けていませんが、
小さく小刻みにコンマ1でも前に行きたいと思います。

大きな一歩で逆転ホームランタイプでないことは、
骨身に沁みて分かってますので(笑)、
小さく小刻みに、そして確実に安打を重ねていこうかと思います。

...と、The Ricecookers 「波のゆくさき」を聴きながら。

「目の前を照らす、光のさきへ」

本年もよろしくお願い申し上げます。




静寂に身をまかせる

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静か。とても。
朝霧が漂う河川敷。
鳴子御殿湯の朝陽。

始発電車が橋梁をガタゴトと走る後ろ姿を見送りながら朝陽を眺めた。

こういう時間久しぶりなんだよね。
普段、朝陽はおろか夕陽を眺める事も無かったから、
とても静かになれる一瞬。

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東鳴子の温泉街には違った時間が流れてた。

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