あの日から30年目。

IMG_5638.jpg1985年8月12日。
当時は11歳。

EXPO'85が開催された年。

その事故は小学生の自分には、「飛行機は怖い」という印象。
それよりも地元茨城で開催されたEXPO'85の方に
頭が向いていたと思う。

この事故が再び自分に近づいてきたのは、
クライマーズ・ハイという小説。

お盆休みの真っ只中、大阪に向けて羽田を飛び立った日航機は、
離陸後墜落までの34分間迷走を続けて、群馬県御巣鷹山へ墜落した。
未曾有の事故現場へ、道無き道を這いずり回りながら登り、
現場を目の当たりにした記者が第一報として寄せた、
記者雑感のくだりは脳裏に絵が浮かんで読んでる紙面が霞んだ...。


それからずっと行ってみたかった御巣鷹の尾根。


登山口までは車で登ることができ、登山口から頂上までは往復で1時間半くらい。
頂上にはコクピットが激突したとされる「×」と書かれた岩、「バツ岩」がある。
ここを起点に扇型に機体は折れ破片が散らばった。

そして、そこかしこに墓標が立っていた。
そこは犠牲となった方々が発見された場所。

墓標にはお名前、当時の年齢が刻まれていた。

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享年41歳。
今の自分と同い歳の墓標を見たとき涙が流れた。
この方は今の自分と同い歳のあの日、続いていたはずの歴史が突然断たれたのだと。
メッセージが彫ってある。
「やさしかったパパ」。


享年9歳。
この子は、今その歴史が続いていれば自分と同い歳くらい。
この子は何が起こっているか分からなかったのかもしれない。
ただただ本当に本当に怖かったと思う。
DNAレベルで、迫りくる「死」への警鐘が身体中で鳴り響いていたはず。





所詮人間が作り出したもの。
事故は無くならない。
でも限りなく0に近づけることはできるし、
自分が考えている以上に強烈なプライドと危機感を持って
安全を守ろうとしている「運ぶ」ことを生業としている方々に改めて感謝。

そんなことを考えつつ、激しい価格競争の中にある、
今の業界の流れはきっとなんかおかしい...とふと思った。



身近な移動手段でいうと車ですね。
その安全運行するための車検制度。
日本はとても厳しいですよね。

世界の車検制度を見てみると、
「制度はなく自己判断」という国々が結構あった。
先進国代表のアメリカもそう。

面白いのが欧州の国々。
ドイツは日本と同じ購入後3年、その後は2年毎。
イギリスは新車3年以降1年毎とより厳しい。
※ GSでできるみたいだけど。

それに対して、イタリアは製造後10年までは不要らしい。
逆にすべきじゃない?と思ったりした 笑。