今も昔も、人間なんてそう変わらない。

東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道。

江戸時代、日本橋を起点として東西南北へ伸びる交通の基幹街道。

江戸時代のもっともっと昔から隣の集落へ行くための道くらいはあって、
隣の集落への道とその隣の集落への道が繋がり、
踏み固められ、整備されて、なんとなく「道」として定着して、
果てしなく繋がったその「道」が、いつしか日本橋まで繋がり、
江戸時代になって政治的な意図が働いて、今に知られる名前になったのかな。

そのひとつ中山道。日本橋から始まり高崎〜諏訪〜関ヶ原と、
西へ西へ繋がっていきます。
その中でも特に行ってみたいと思っていた木曽路。
贄川宿から始まり馬籠宿まで十一宿。

走ってみました。

車で 笑。


■ 奈良井宿

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奈良井宿は、古い街並みの雰囲気たっぷりの宿場町。
そして本当によく掃除されてる。。。すごいよ、ゴミひとつ落ちてない。
そして「ぼろぼろ」感はあんまりなくて、綺麗で品格のある古い街並み。
道幅が狭くなったり広くなったり...構造上なのか、故意なのか。
「桝方」という、万が一敵に攻められた際に、その進攻を緩めるため、
曲がり角を作りそれを阻む構造もあるようなので、
もしかすると意図的なのかもしれない。


■ 妻籠

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妻籠宿。
細いメインストリートは両側にびっちり建物が並んで、
雰囲気最高(個人的には電柱がないのもポイント)。
当時もそれはそれは賑わってたんだろうなぁと思う。
曲がり角にあるリズミカルに打つ水車、街中を流れる運河のせせらぎ、
のんびりした時間の流れ、軒先で響く笑い声、
どこからともなく漂う美味そうな匂い、どことなくアヤシいお店、
出し抜けに通りを横切るネコ、そのどれもが最高。

売っているものや食べ物、現代といろいろ異なるところはあるけれど、
人が行き交い、立ち止まって話をしたり、お店の前でつい微笑がこぼれたり、
喉の渇きや空腹を満たしたり、今宵の宿を求めたり、他の街の情報を得たり、
時には人を追いかけたり、喧嘩したり、心が揺れる人に出会ったり、
袖振り合うのも他生の縁。

そんな、心が躍りそうなコトは、今目の前にある情景そのもの。

人間なんて今も昔もそう変わらないのだろうから、
時が違えど、目の前にある情景は、
はるか昔、賑わっていた頃の街角なんだと思った。

■ 馬籠宿

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木曽路は、中山道の中でも特に険しい道のりで、
迷い込むと山姥に襲われるなどの言い伝え(?)がたくさんあるらしい。
善光寺に詣でるのも、木曽路を通らずわざわざ倍の道のりにもかかわらず、
北陸道から回ることもあったみたい。
そんな険しい山あいにも確実に人は住んでいて、人々の生活があったのだろう。
昔も今も人間なんてそう変わらないだろうから(今回2度目 笑)、
都の喧騒がイヤな人は、静かなこの地で、何処か居心地の良い場所を見つけて
ひっそりと火を灯していたのかもしれない。

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木曽路のメインストリート、19号線は心地よい道。
両脇に広がる山々。間を縫うように続く1本道。寄り添うように流れる木曽川。

昔の人もこの道をてくてく歩いたんだろうか。
川縁の岩の上で流れを見ながらおにぎりなんて食べて疲れを癒したりしながら。
突然の雨で宿場の軒先で雨宿りしながら。
そして、はるばる何日もかけて木曽路を確実に歩いたんだ。