今も昔も、人間なんてそう変わらない。

東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道。

江戸時代、日本橋を起点として東西南北へ伸びる交通の基幹街道。

江戸時代のもっともっと昔から隣の集落へ行くための道くらいはあって、
隣の集落への道とその隣の集落への道が繋がり、
踏み固められ、整備されて、なんとなく「道」として定着して、
果てしなく繋がったその「道」が、いつしか日本橋まで繋がり、
江戸時代になって政治的な意図が働いて、今に知られる名前になったのかな。

そのひとつ中山道。日本橋から始まり高崎〜諏訪〜関ヶ原と、
西へ西へ繋がっていきます。
その中でも特に行ってみたいと思っていた木曽路。
贄川宿から始まり馬籠宿まで十一宿。

走ってみました。

車で 笑。


■ 奈良井宿

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奈良井宿は、古い街並みの雰囲気たっぷりの宿場町。
そして本当によく掃除されてる。。。すごいよ、ゴミひとつ落ちてない。
そして「ぼろぼろ」感はあんまりなくて、綺麗で品格のある古い街並み。
道幅が狭くなったり広くなったり...構造上なのか、故意なのか。
「桝方」という、万が一敵に攻められた際に、その進攻を緩めるため、
曲がり角を作りそれを阻む構造もあるようなので、
もしかすると意図的なのかもしれない。


■ 妻籠

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妻籠宿。
細いメインストリートは両側にびっちり建物が並んで、
雰囲気最高(個人的には電柱がないのもポイント)。
当時もそれはそれは賑わってたんだろうなぁと思う。
曲がり角にあるリズミカルに打つ水車、街中を流れる運河のせせらぎ、
のんびりした時間の流れ、軒先で響く笑い声、
どこからともなく漂う美味そうな匂い、どことなくアヤシいお店、
出し抜けに通りを横切るネコ、そのどれもが最高。

売っているものや食べ物、現代といろいろ異なるところはあるけれど、
人が行き交い、立ち止まって話をしたり、お店の前でつい微笑がこぼれたり、
喉の渇きや空腹を満たしたり、今宵の宿を求めたり、他の街の情報を得たり、
時には人を追いかけたり、喧嘩したり、心が揺れる人に出会ったり、
袖振り合うのも他生の縁。

そんな、心が躍りそうなコトは、今目の前にある情景そのもの。

人間なんて今も昔もそう変わらないのだろうから、
時が違えど、目の前にある情景は、
はるか昔、賑わっていた頃の街角なんだと思った。

■ 馬籠宿

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木曽路は、中山道の中でも特に険しい道のりで、
迷い込むと山姥に襲われるなどの言い伝え(?)がたくさんあるらしい。
善光寺に詣でるのも、木曽路を通らずわざわざ倍の道のりにもかかわらず、
北陸道から回ることもあったみたい。
そんな険しい山あいにも確実に人は住んでいて、人々の生活があったのだろう。
昔も今も人間なんてそう変わらないだろうから(今回2度目 笑)、
都の喧騒がイヤな人は、静かなこの地で、何処か居心地の良い場所を見つけて
ひっそりと火を灯していたのかもしれない。

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木曽路のメインストリート、19号線は心地よい道。
両脇に広がる山々。間を縫うように続く1本道。寄り添うように流れる木曽川。

昔の人もこの道をてくてく歩いたんだろうか。
川縁の岩の上で流れを見ながらおにぎりなんて食べて疲れを癒したりしながら。
突然の雨で宿場の軒先で雨宿りしながら。
そして、はるばる何日もかけて木曽路を確実に歩いたんだ。

受け継がなければいけないこと

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中学生の頃、
「空海 真言宗 高野山金剛峰寺、最澄 天台宗 比叡山延暦寺」
と習いましたよね?

暗記科目だった社会、実際どんなことが起こったか知ってますか?
僕は文字通りのことしか知らず、そしてそれに疑問も持たなかった。


ふと思い出したはるか昔(?)に習ったこのフレーズが頭をよぎりました。
空海ってそんなすごい人?
高野山ってどこだ?名前かっこいいけど。
金剛峰寺ってどんな場所?最初は「ぶ」が読めなかったよ。

そんな軽い気持ちで、高野山へ行ってみました。
天気は最悪、ずっと雨で、挙句に台風が真上を通っていく始末(苦笑)。



ひとりの人の感情の動きが、数え切れないほどの人に共鳴し、
その波動が徐々に日本中に広がり、やがて日本中を席巻する。

日本のどこかでぽっと沸いたたったひとつの感情が、
こうやって日本中を巻き込むムーブメントとなることでようやく教科書の1行となり、
そのおびただしい1行が重なり合ってあの教科書一冊になるんだよね。

その微かな1行になるために、
一体どれだけの血と汗(大げさかもしれないけれど)が流れたのだろうと...。


なんて考えながら雨の奈良へ。


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空海は、774年 讃岐国で誕生する。幼名を真魚(まお)という。
大学にも通ったけど、勉学に飽き足らず19歳で修行の道へ進みました。
相当優秀。おそらく地元では天才と言われていたのかも...。
四国八十八霊場も空海が修行を行ったことから今日まで受け継がれているようです。
そして、31歳で唐へ渡った。

運命的だと思ったのは、同じ船団に最澄もいたこと。
そして、荒天により船団のほとんどが難破してしまったのに、
空海と最澄の船はからくも大陸にたどり着いたこと。
(最澄の方が8歳くらい先輩だったようです)

空海が唐で出会った真言密教が、高野山の礎。


高野山 金剛峰寺...と言われていますが、
ここには無数の寺院があり、まさに「高野山全体」が信仰の場所なのだ。


写真の大塔には大日如来像(神様中の神様)が安置されていて、
日光如来・月光如来を左右に従えている。

ここがすごい。本当に神々しい。
その薄く開いた切れ長の目を見ていると、
心の芯まで見透かされる感じがする。
「ちゃんとみてるからな」って言われてる。

本殿の中は決してきらびやかでない、でも荘厳な佇まい。
数々の屏風絵に空海が辿ってきた道のりが描かれていて、
ひとつひとつに見入ってしまう。

おもしろいな...というか当たり前なんだけど、本殿には食堂がある。
そして料理場もある。大きな釜が3つもあり、
3つとも炊くと2000千人分のご飯が炊けたらしい。
当時数千人の僧が真言密教を信じ、この地へ入り修行をしていたのだから、
当然と言えば当然なんだけど、普通の寺社では決して触れられない、
「僧の生活」が垣間見れたことがとてもおもしろい。
修行とは、この地での生活そのものなんだと思う。

世俗から離れることで、独自信仰の道を歩んだ高野山は、
いつしか一大勢力となり、その強大となった勢力は世俗から恐れられてしまい、
世俗から離れたいのに逆にちょっかいを出されてしまう。
織田信長や豊臣秀吉が高野山を服従させようとしたことにも納得。。

織田信長が本能寺の変で倒れなければ、
今の高野山は別な形になっていたのかもしれない...。


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空海はこの地でご入定(ごにゅうじょう)する。
高野山には、少し離れた場所に奥の院という、
弘法大師廟がある。
廟までの道のりには20万もの墓がある。
戦国武将や偉人、現代の偉大な企業創立者の名もある。

この道の空気感は、これまで感じたことのないほど神々しい。
雨なのに、そしてなぜかお腹が痛いのに(笑)。

この先に佇む弘法大師廟ももちろん神々しいのだけど、
どちらかというとほっとするような静かな気持ちになったのとは逆に、
この参道は、心が揺れて揺れて落ち着かない。
おびただしい数の墓標は弘法大師を守ってる。

「見張られている」。

そう感じる。

この参道には、心が揺れるほど無数の魂が漂っているような気がした。
そしてその魂は、決して安泰な最後を迎えたものではなく、
むしろ、世情に翻弄され志半ばにしてこの世を断たれた魂が多い。
特に目が向いたのが戦国の猛将の墓標だったからかな...。


奥の院の駐車場に、高野山のPRポスターがあって、
冬の参道の写真が写っている。これがまたすごいイイんだ!!
かすかな空気の揺れる音すら聞こえないだろう「静寂」がそこにはあった。
冬に来るとまた全然違うんだろうなぁ。
車じゃ標高900mのあの山道は厳しいかもね。


また絶対にこなくてはいけない場所だと思った。
紀伊半島は、お伊勢さんに春日大社、東大寺や法隆寺、そして高野山...
数を並べたらキリがないけど、日本の信仰の原点なんだと思う。


こうなると、空海と一緒に唐へ渡り、
悟りを開いた最澄が気になり始めた。
比叡山延暦寺。

いつ行けるかな。


〜〜〜

「如来」と「菩薩」の違いってわかりますか?
細かいことは難しすぎてわからないけど、
奈良大仏みたいに、頭がパンチパーマ(螺髪というらしい)もので、
身なりはいたって質素な佇まいで、眉間に点(白毫というらしい)があって、
指が華麗に印を結んでいるもの。
これは如来像で、悟りを開いたまさに「神様」です。

菩薩像は、王冠や着衣など、豪華な装飾品をまとったり、物を持っていたりと、
派手(?)な出で立ちで佇んでいます。
まだ悟る前の修行の身です(来世で如来になることが約束されている...らしいです)。

〜〜〜




三方よしだよね?

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古い街並みを歩く。

近江八幡へ。

昔、伊勢商人、大阪商人と肩を並べて語られる近江商人発祥の街です。
一回聞けばすぐに分かる企業で、近江商人の流れを汲むところが数多くあるそうです。

近江商人が往来した街は駅から15分くらい歩いた八幡堀という、
豊臣氏が築いた水路を中心に、当時の面影を残す建物が点在してます。
町名も面白くて、当時の職種の集落が伺えます。
鍛治屋町、博労町、為心町、魚屋町、東畳屋町、鉄砲町...。

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八幡堀。
今のような綺麗な姿になるまでは荒れに荒れて手がつけられない状態だったようです。
地元の有志が市民に辛抱強く語りかけ、今の趣のある状態になったようです。

その時の投げかけが、
「死に甲斐のある場所」にしよう。
だそうです。

生き甲斐のある場所、働き甲斐のある場所はいくつもあるかもしれないけど、
人にとって「死に場所」はひとつ。
その場所...つまり近江八幡を「死に甲斐のある場所」にしようという言葉。

ぐっとつかまれる。
そんな風に思える場所があることはすごく幸せなんだろうなぁ。
そんな事を考えながら「近江商人」ゆかりの街を歩く。

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「三方よし」

近江商人の商いの思想。
三方とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし。」との意味らしい。

気持ちよく利益を得ること。
対価に見合うものを全力で提供すること。
この商売が必ずや社会のためになると信じきれること。

単純に当たり前だけど良い言葉。良い思想。

忘れてないですか??

と問われているみたい。


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あの日から30年目。

IMG_5638.jpg1985年8月12日。
当時は11歳。

EXPO'85が開催された年。

その事故は小学生の自分には、「飛行機は怖い」という印象。
それよりも地元茨城で開催されたEXPO'85の方に
頭が向いていたと思う。

この事故が再び自分に近づいてきたのは、
クライマーズ・ハイという小説。

お盆休みの真っ只中、大阪に向けて羽田を飛び立った日航機は、
離陸後墜落までの34分間迷走を続けて、群馬県御巣鷹山へ墜落した。
未曾有の事故現場へ、道無き道を這いずり回りながら登り、
現場を目の当たりにした記者が第一報として寄せた、
記者雑感のくだりは脳裏に絵が浮かんで読んでる紙面が霞んだ...。


それからずっと行ってみたかった御巣鷹の尾根。


登山口までは車で登ることができ、登山口から頂上までは往復で1時間半くらい。
頂上にはコクピットが激突したとされる「×」と書かれた岩、「バツ岩」がある。
ここを起点に扇型に機体は折れ破片が散らばった。

そして、そこかしこに墓標が立っていた。
そこは犠牲となった方々が発見された場所。

墓標にはお名前、当時の年齢が刻まれていた。

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享年41歳。
今の自分と同い歳の墓標を見たとき涙が流れた。
この方は今の自分と同い歳のあの日、続いていたはずの歴史が突然断たれたのだと。
メッセージが彫ってある。
「やさしかったパパ」。


享年9歳。
この子は、今その歴史が続いていれば自分と同い歳くらい。
この子は何が起こっているか分からなかったのかもしれない。
ただただ本当に本当に怖かったと思う。
DNAレベルで、迫りくる「死」への警鐘が身体中で鳴り響いていたはず。





所詮人間が作り出したもの。
事故は無くならない。
でも限りなく0に近づけることはできるし、
自分が考えている以上に強烈なプライドと危機感を持って
安全を守ろうとしている「運ぶ」ことを生業としている方々に改めて感謝。

そんなことを考えつつ、激しい価格競争の中にある、
今の業界の流れはきっとなんかおかしい...とふと思った。



身近な移動手段でいうと車ですね。
その安全運行するための車検制度。
日本はとても厳しいですよね。

世界の車検制度を見てみると、
「制度はなく自己判断」という国々が結構あった。
先進国代表のアメリカもそう。

面白いのが欧州の国々。
ドイツは日本と同じ購入後3年、その後は2年毎。
イギリスは新車3年以降1年毎とより厳しい。
※ GSでできるみたいだけど。

それに対して、イタリアは製造後10年までは不要らしい。
逆にすべきじゃない?と思ったりした 笑。

静寂に身をまかせる

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静か。とても。
朝霧が漂う河川敷。
鳴子御殿湯の朝陽。

始発電車が橋梁をガタゴトと走る後ろ姿を見送りながら朝陽を眺めた。

こういう時間久しぶりなんだよね。
普段、朝陽はおろか夕陽を眺める事も無かったから、
とても静かになれる一瞬。

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東鳴子の温泉街には違った時間が流れてた。

青と蒼と碧

IMG_1682.jpg時雨が降ってた。
霧雨に浮かぶ小さな虹を見た。
洲崎灯台。

房総半島をぐるっと廻って。

シーサイドリゾート館山を越えると、
食材ひとつ買い出しにいくのに、
いったいどこまで行かなければいけないのか...
と不安になるくらいの田舎具合。

でもいいんだよね。

海沿いを、半島の輪郭を沿うかの様に一本道が通ってて、
沿道には、畑や家、たまにおばあちゃんと釣り人。
東京湾を挟んで対岸には、一千万の人がせわしなく行き交うギシギシした街なのに。

洲崎を越えると、白浜に向けてまたリゾート感満載。

この瞬間、、館山と白浜の間が
忘れ去られたような田舎具合の安心感。

空豆がおいしかったなぁ。

越後妻有 大地の芸術祭の里 2012

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今年は、4年に一度の越後妻有 大地の芸術祭開催年です。

やっぱり自然が素晴らしい。そして、越後妻有の街並みも素晴らしい。
もちろん、住んでいる人も素晴らしい。
この3つが絶妙に調和した里山風景を体感するだけでも行ったかいがあります。

特に、中心街から離れて里山の方にあるアート作品の中には、
妻有の自然と調和して、さらに、そこに住んでいる人達とも調和して、
そして年月を掛け、そこに住まう人達が集う場所など生活の一部に組み込まれ、
まるでずっと昔からそこに存在してきたかのように溶け込んでいる所が素晴らしい。

アートってどこか「日々の生活」と乖離しているイメージがあるのですが、
ここでは、既にそこにある自然や空気、生活、風習、人々から発想を得て、
ほんのちょっと(...とはいえ、すんごい頭を使ってるとは思うのですが)アウトプットの
仕方を工夫して「分かりやすく見えるもの、感じれるもの」にしている事が
すごいなぁと思う。


写真は川西地区にある広い公園にある、レインボーハット(関口恒男さん)の作品。
大きいドーナツ型のアジアン風のテントに光のスペクトルを感じれる面白い作品。
35度の灼熱の妻有でもテントの中はちょっとだけ涼しい...気がする。

ハンモックもあってこれはのんびりできる場所。
「心の休憩所」。


「旅」はと言えば、とにかく暑かったなぁ...。
朝夕は涼しいものの、昼間の気温は35度オーバー。猛暑です。
滞在は、松之山地区にある湯田温泉のお宿です。
ここの温泉がぬるぬるな美肌の湯。
濃ゆくて最高です。露天は言葉通り「開放感抜群(笑)」。


「じっくり1週間くらいかけて見たいねー」と毎回思う。
...けど、たぶんそんなことは出来ないんだろうなぁとも思う。


瀬戸内アートフェスティバル 2013の開催告知の垂れ幕がありました。
妻有の「山」の里山風景と、瀬戸内の「海」の里山風景。
このコントラストを改めて感じたいなぁ。
そして、来年は徳島でもLEDアートフェスティバルというイベントがあるようですね。
同時開催とか、期間がかぶるなら両方とも見れるといいな。


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前回も見たボルタンスキー氏の作品。最後の教室。
そして、初めて見る十日町のキナーレにある、同じくボルタンスキー氏 No Man's Land。
どちらも、人間の記憶、生死、(そして輪廻は個人的解釈)をテーマにした作品。
真っ暗闇の中、リアルな心臓音が爆音で轟く場内は結構怖い...。

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そして「夢の家」。
こちらの部屋で瞑想し、見た夢を綴る。
「夢の航海日誌」。ロマンがあるなぁ。。

里山の優しい色合いからすごくギャップのある刺激的な部屋で驚いた。

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それにしても、田んぼの香りが最高だった。
稲のいよいよ頭を垂れてきて、黄金色になる日も近し!

この里山がすでにアートだ(...とやっぱり言いたい...)。
やっぱりこれが結論だっ!!

宮城県七ヶ浜町へ

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「日本」という国に大打撃をもたらした3.11 東日本大震災。
発生から1年と2ヶ月後、宮城県七ヶ浜町に瓦礫掃除に行ってきました。

七ヶ浜町?訪れる前は「どこ...?」という感じでした。
震災時には、近隣の石巻や塩竈、仙台空港などの被災状況が知らされる中、
七ヶ浜町の情報は、個人的には触れる事がなかったと記憶しています。

七ヶ浜町は、仙台の東北20キロ程に位置していて、
周囲を太平洋に囲まれている小さな半島です。

ぐるっと太平洋に囲まれた七ヶ浜町。
震災時には15メートルの津波が押し寄せたそうです。
写真は、海岸沿いのおそらく公園だったのではないかと思われる場所です。
奥が海で手前が町です。そして、中央の建物は、おそらく公衆トイレ...かな?

町から海岸までの遊歩道的な部分はごっそりなくなってしまっています。
海岸沿いの住宅も壁や基礎を残して全て流されていました。
表札は残っているけど建物がない...そんな状態です。


丸4日間、田圃の瓦礫掃除・測溝の瓦礫掃除をしました。

知り合った方には、もう100日以上こちらに滞在している方や、
今年4月に現役を引退し、その足で七ヶ浜町にきた方、
地元がここで、学校を休学して、あるいは仕事を辞めて戻ってきた方など、
本当に多くの人の「人生」に影響を与えた3.11です。

初日は、99人のボランティアが集まりました。
スタッフの方曰く、「全盛期に比べると少なくなっている」との事でした。
人数だけで見ると、二日目が64人(減った...)、三日目24人(のぉ...)、四日目280人(すげぇ)。という感じです。

休日には、ボランティアツアーバスが来て、たくさん人が集まるようです。

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作業の分担は、朝のミーティングで決定します。
そして、恒例(らしい)ラジオ体操で体と心をほぐして現場に向かいます。
東北弁(なのでしょうか...?)のかけ声がスピーカーから流れると、笑いが起こります。

正直、最初はどう立ち回ったらいいか分からず様子見でしたが、
スタッフの方や、長期滞在されてる方(もはやヌシです)のフォローが親切で、
すぐに打ち解けられました!
すれ違うときの「おつかれさまでーす」がこんなにも心地いいとは!

境遇も違えば、出身地も違うし、言ってしまえば生活文化の違う「個性」の集まりだけど、目標がハッキリしていることはお互いの距離を縮めますね。

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作業は、至ってシンプルです。
目に見える範囲の瓦礫達を、燃える、燃えない、細かいの大きなのに区分しひたすら拾います。
それを土嚢袋に回収して一カ所に集めます。最終的には、トラックで一括収集するのではと思います。

とにもかくにも、ひたすら拾い続けます。

中腰でずっと地面を見ているので若干腰が痛い...完全に運動不足を露呈している自分がいるのですが、体と相談して休憩を適当に入れつつの作業です。


その後、重機が入り、土壌の天地返しを行い改めて見える瓦礫達の回収。
これを、幾度も繰り返してキレイにした後、塩抜きをするそうです。

今回掃除した田圃が今年試験的に作付けすることになったそう!
めでたい!よかった!うまくいくといいなぁ。
...という、自分たちが動く事でどんな事が起こるのか...という事も知らせてくれます。
これでやる気倍増ですね。

大変だったのは、三日目の測溝掃除。いわゆるドブ掃除です。
浜の砂で詰まった測溝は水分を含みとても重いです。
そして、あらゆるものが隠れています。
割れた瓦や窓ガラス、釘がむきだしの柱や壁などの家関連。
サッシやハンマーなどの道具類、本や服、靴などの生活雑貨。
そして、扇風機やDVDプレーヤー、ラジオやビデオデッキなどの家電製品。

作業中、一人の方が柱の釘を踏んでしまいました。

装備は万全に。

そして、危険と思ったら誰かの助けを借りる、意見を聞く。
普段、できているようで、出来ていない事...
抱え込まない事が重要です。

個人的には、CDやお守り、バッグや洋服など、
使われていた頃をイメージできるものが出てくるとこみ上げる気持ちが...。
バックなどは「その人」にとって大事な物が入っていないか確認してから、
集めて行きました。

期間中は、隣のサッカースタジアムの駐車場を借りて車中泊です。
結構な人数がここで寝泊まりしていました。
活動は15:00には終わり、16:00には解散となります。
ここからの1日が長い...です(笑)。

自分は、仕事も持ってきていたので、
PCを持って隣の多賀城の町へ通い仕事をする日々でした。
WiFi持ってればなぁ...と思いました。

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食事は、基本的にセルフサービスです。

近くにスーパーがあり、食材を買って自炊したり、惣菜を買い出して
車中で食べたり、みんなで集まって食べたり(&少し飲んだり?)と。。
これが、本当に充実しています。

連絡先を交換し合ったり、出身地の話をしたり、作業に対して意見交換をしたり、
これまでの活動を話したり...みんな違う境遇ですので、話すネタがつきる事はないです。

ボランティアだからと言って、過剰に被災地・被災者に遠慮したり、
ちじこまっていては、早い復興なんてできないと思いました。
目標は「復興・復旧」。これを目指して、今何が必要か、今何をすべきか...
自分で考え行動する。


という4日間。帰りたくなかった!本当に。
また、時間を作って七ヶ浜町へ駆けつけたいと思います。
そして、活動中に知り合った方ともお会いしたいです。


自分が出来る事。

自分で考える事。

相手の気持ちに立つ事。

当たり前の事ですが、改めていろんな事を思い直した日々でした。


ありがとう。七ヶ浜町の皆さん。
そして、少しでも自分とお話をしてくれた皆さん。


浜を元気に!七ヶ浜町復興支援ボランティアセンター

2011.10.8〜10.13:伊勢志摩〜潮岬のドライブ PART 3

内宮さんを参じまして、次に外宮さんへ。

外宮さんまでの道のりは普通に街でした。
オフィスビルはあるし、学校はあるし、お店もあるし、
日常の中に「神宮さん」という存在ある生活はどうな感じなんだろうとふと思います。

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そして外宮さん。
第一印象は「観光地」でした。
内宮さんを回って、ちょうどいい時間に着いたこともあり人が多い。

内宮さんは、神馬見参の際に観光客はたくさんいましたが、
それを凌駕するほどの神々しさがあって、写真撮る時も厳かだった気がします。

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Google Mapでは明らかに外宮さんの方が広いので、心して来ましたが、
実際にお参りできる範囲は、外宮さんの方が狭くギュッと中心に寄せた感じでした。

参拝を終えまして、気付いたら12時を回ってました...。
着いたのが7時頃だから、5時間くらい掛けて内宮さん・外宮さんを参拝したことになります。

さすがに疲れたのでお風呂へ(なんで?...ですが)。

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iPhoneで調べて、二見にあるホテル晴海の蘇民温泉に。
ここは、蘇民伝説ゆかりの地で、蘇民将来にちなんでこの名前がついたとのことです。

淡い茶褐色の塩化物泉、塩っぱい。
なんでも源泉は、温泉成分が濃過ぎるらしく、普通では入れないので加水してるとのこと。

露天からは、海が一望できて気持ちいい。それにしても、行く先々で釣り人が異様に多いです。そんなに釣れるのでしょうか?

ここで、御年72歳のおじいちゃんと連れ風呂。いろいろ世間話しながらの楽しい風呂です。名古屋にいる息子夫婦が、地元へ帰って来てくれないのが当面の悩みらしい...。

息子のお嫁さん的に、トイレが「離れ」にある事が渋ってるポイントだそうです。
いずれ地元に帰りたくなると思うのですが...お嫁さんを説得するのは少し大変そうだ。

日帰り入浴開始まで時間があったので、近くの観光地だった夫婦岩を見ました。
ここも人が多い・・・。真っすぐ歩けませんね。

伊勢近辺の学生さんの遠足先は、何年もの間この夫婦岩だったようですよ。
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風呂にも浸かりましたし、さてさて宿に行きましょう。
さすがに道の駅で夜を明かすのは疲れましたので、ちゃんと布団に寝る...というより、
ちゃんとジョッキでビールが飲みたいだけですが(笑)。

伊勢市には「観光ホテル」というものがなく、あるとしたらビジネスホテルになるそうです。実際に泊まった宿もビジネスホテル。観光ホテルは鳥羽に集中してしまっているそうですが、神宮さんがあるのに何キロも離れた鳥羽から来るのはちょっと面倒なのでは...と思いました。

昔、伊勢神宮の参拝路には、大きな宿が軒を連ねていたそうですが、
今となっては一軒を残すのみとのこと。実際に夜の参拝路を歩いてみましたが、なんとなく侘しい感じでした。もっと夜の賑やかさを想像していましたが、そうではないらしいです。

そして泊まったホテルで、自転車一人旅をしている女の子と遭遇です。
津を出て、鳥羽〜伊良湖〜山梨、、そしてゴールは富山だそうです。
女の子ということもすごいし、スタートとゴールが違うのもおもしろい。

今頃どこかなぁ・・・。なにはともあれ、頑張れ!!

IMG_1619.jpg
伊勢の夜。
約束通りビールで乾杯!

飲み屋は普通...。

でしたが、その後に行った〆のラーメン屋さん 熱あつ君(ネーミングがいかしてます)のマスターとお話。

昔、役場の観光課にいらっしゃったということで、すごい伊勢・紀伊博士です!

いろいろな話をして、もう麺ものびちゃうくらい長居をしてしまいました。でも楽しかったです!ありがとうございます〜。







●5日目

久しぶりに布団で寝てぐっすりでした。
宿からの朝日。

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薄曇りな伊勢市。
さぁ、帰路に着きます。

再びにフェリーに乗るため、鳥羽へ移動。

IMG_1630.jpg
さらば〜紀伊半島〜。また来るぜ〜と叫びました...心の中で。

伊良湖岬から1号バイパスをひたすら走り、途中袋井で、和の湯 という日帰り施設で温泉。
なんでも別府温泉が体験できるらしい...そして源泉掛け流し。
この言葉に弱い...というか弱すぎます...。とても広い施設で、地元では人気の施設なのではないでしょうか。

再び走り、日が暮れるころ、道の駅 富士川楽座に到着。
近くでご飯調達して来てまったりと。。

一寝入りして、夜中東名に入ったけどやっぱり眠いです。
ということで駒門PAで朝まで熟睡。

翌6日目、無事帰還しました。
走行距離1235キロ。本州最南端 潮岬まで行きました。

2011.10.8〜10.13:伊勢志摩〜潮岬のドライブ PART 2

続きです。

熊野本宮大社へ。静かです...本当に。
本殿への石階段を登る時、なんともいえない身の引き締まる感じ。
神々しいです。

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ここまでの道路も、片側車線が洪水にえぐりとられたり、
土砂まみれの車が幾台も取り残されたり、家々が倒壊していたりと、
台風の被害をいたるところで体感できました。

そして、熊野本宮大社の近辺、いつもは多くのお店や宿で賑わっていたと想像しますが、
この日はお店はまったくやっておらず、休業の張り紙ばかりでした。

ここまで来る311号線も、片側通行を余儀なくされ、
長い峠道を上り下りが交互に走ると言うなんとも大変な事態。
自分の番まで20分くらい待ちました。
そして、新宮へ下る178号線も冠水のため利用できず、
海岸線への道路はこの311号線しか無い状況。

早い復旧を心から祈ります。

〜〜〜〜〜

そして、ようやく新宮へ到着。
すでに夕刻に近かった。。
このままだと、潮岬で夕陽が拝めないのでは...
と軽いプレッシャーを感じつつ串本町へ移動です。

海岸線は小さな港が幾つもあって、
入り江も岩も表情豊かで楽しいドライブ。

・・・間に合ったー!

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そして、本州最南端に到着。

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ここには、キャンプ場もあって、バイカーがやたら多いです。
そして、夕暮れ時になるとどんどん集まって来て
テントを張りキャンプが始まっていました。

少し下って(5キロくらい)串本町に行けば、
食材も飲み物もあるので、自分も買い出しして、
翌日の日の出に備えることにしたのですが、これがガンでした。

とにかく虫が多い(特に噛む虫)。
若干気温が高いから窓明けるとブンブンと入ってくるし・・・。
虫除け持ってくるべきだったと後悔したけど後の祭り。

夜トイレに行ったら、タヌキ(?)たちが数頭でキャンプのごちそうにありつこうと
取り巻いていました。おそるべしネイチャーパーク潮岬です。

結局あまり寝れずに朝を迎え、逆に寝過ごして朝日が見れない・・・
という状況が無かったことは幸いでしたが。

バイカーたちはどうやってこの難をやり過ごしたんだろう...。

●3日目

ということで、虫達と大格闘の末迎えた朝日!

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奇麗だ。神々しい。ちょい感動...涙が。

予め買っていたパンとコーヒーで朝日を眺めながら朝食。
バイカー達も朝日を拝んでました。

しばし余韻に浸って、いよいよ本丸伊勢神宮へ向かい登ります。

途中、昨日は夕陽に間に合わせるため見れなかった橋杭岩で小休止。
朝日に照らされる橋杭岩は何とも言えない美しさ。
BRYCEみたい(笑)。

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そのまま遡上(?)を続け、那智勝浦でお目当ての中の島温泉へ。
那智勝浦港から送迎船に乗って、入り江に浮かぶ小島へ渡ります。

こ・こ・が・最・高!

ホテル自体は、いたってシンプル(失礼!)な外観と内観ですが、
お風呂は本当に最高です。露天と内湯がありますが断然露天です。

硫黄の香りする塩化物泉で少し白い濁り湯です。

目の前に湾の海が広がり、漁船がポンポンと目の前を通過して行きます。
湯船のすぐ下は波打ち際で、お風呂にもフナムシがちょろちょろと。
だけど、すごく綺麗に掃除がしてあって、荒れた感じは微塵もありませんでした。
泊まりで来たいなぁと思わせる景観です。

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湯が湧き出す所から徐々に熱い湯→普通の湯→温い湯と湯船が仕切られて、
温い湯が好きな僕は波打ち際に一番近い湯船に浸かって、朝の海をみながらうたた湯です。

また送迎船に乗って港に着くと何やら市場でイベント開催中でした。
これは行くしか無い!ということで覗いてみると、那智勝浦は生鮮マグロの漁獲高が日本一だそうで、マグロ祭り(?)をやっていました。
奥では、マグロのカマを網で焼いているコーナーがあり、もちろん食べます。

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網の隣では、箱詰めされたマグロがポンと置いてあって、店の人が、
「これが築地に行くと100万の値がつくんだよ!」と言ってました。

そして、お目当てのカマ焼き!
なんと400円という破格で、お吸物もサービスしてくれました。

隣のおっちゃんは、カマ食べながら朝からすでにビール飲んでます。

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うらやましい。

人はそれほど多くはなかったけど、
お客も市場の皆さんも生き生きとしていて、純粋で、今までいた文化圏とは違う人間社会「本来」の在り方に出会った気がしました。

カマ焼きの方はというと、それは採れ立てのマグロのカマを炭火で焼いてるんだもん、美味しくない訳が無いですよね!

あー、ビール飲みたい。

と心から思いました。





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後ろ髪を引かれつつ、那智勝浦を後に。。

お腹も身体も満足したので、次は那智大社へ。
熊の三大大社の2つ目です。
台風の被害が最も大きかった地域のひとつです。
那智の大滝のニュースは連日のようにテレビで見ていましたし。

そして那智の大滝へ到着。

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滝壺に広がる大木や岩は、台風で崩れてしまったもの。
正面の優雅な滝の流れからは想像もしない滝壺の様相に言葉が詰まります。

那智大社も工事をしているところが所々あって、
まだまだ復旧への道のりは掛かりそうな印象でした。

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那智大社 三重塔。
那智の大滝をバックに。

それにしても、階段キツい...運動不足な自分です。

そして、次は新宮にある、熊野三大大社 速玉神社へ。
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第一印象は、大きな町中にあることもあり「観光地」という印象でした。
深紅に塗られた壁や柱はとても綺麗で、ついさっき建造されたような印象です。
それに、BGMに流れる車の行き交う音やなんとなく感じる街の空気。

熊野三大大社を参じまして、再び遡上を再開。

熊野〜尾鷲〜紀伊長嶋を経た頃には、日も暮れ始めました。
本丸の伊勢市まで30キロ前くらいの道の駅 おおだいにて3日目終了。

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この道の駅は、それこそ街のど真ん中 役場の隣にあって、
でっかいスーパーもあるし、コンビニもあるし、食べ所もあるしで
超便利なスポットです。

夕ご飯も食べておやすみなさい。


●4日目

やはり日の出前に目覚めてしまった。
コンビニに寄っていざ伊勢市へ。。

そういえば、紀伊半島でのコンビニは9割以上がサークルKでした。
たまにファミリーマート、まれにローソン・・・セブンイレブンには出会えず。
Twitterで情報もらったのですが、セブンイレブンなど他のコンビニチェーンの参入が出遅れたためほとんどサークルKだそうです。確かに、ほとんどサークルKでした。

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途中、玉城町で日の出を迎えました。

そして朝7時くらいには伊勢神宮内宮へ到着。

早朝という事もあって、本当に神々しい。
背筋が伸びる感触を直に感じながら宇治橋より内宮さんへ。

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後になって知りましたが、僕たちは「伊勢神宮」と呼びますが、
こちらでは「神宮さん」なんだそうです。
明治神宮は明治に作られたからそう呼ばれるそうで、
ここは全ての「神宮」の始まりなので「神宮さん」と呼ぶそうです。
そして、内宮・外宮は、「内宮さん」「外宮さん」と呼びます。

日本の信仰の発祥地です。

訪れた時は、タイミングよく神馬(しんめ)見参の刻で、
貴重な瞬間に立ち合えました。

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内宮さんの中は、大樹に囲まれた砂利道を進みます。
その中に、様々な別宮・摂社・末社・所管社があり、
あるべき所に静かに鎮座していました。

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大樹の葉間から地面に届く日の光に、なぜか心を見透かされているような気分になる、俗な自分です。

本当に神々しいところでした。

この日の夜、御飯何処のマスターから聞いた話。
内宮さんで使われた樹齢何百年という大樹の柱や壁板は、
古くなっていたんだ部分を削り、伊勢やその他の神社やお寺の鳥居や
壁板にどんどん降りて行くとのこと。
そうやって、後世何十年も、身は細くなりながらも受け継がれて行く。
これは素晴らしいことだと思いました。

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帰りは、おはらい町、おかげ横町を堪能。ここで初めて「伊勢うどん」を食べました。

ほわほわしてコシがない・・・うどんというとコシがあるもんと思っていた観念ががらっと変わります。

汁は少なく、浸かるというよりかけるという感じで、甘辛く濃いです。

これもおいしい。







続いて、少し離れた所にある外宮さんへ移ります。
回りには普通にビルがあり、学校があり、公園がある伊勢市です。

・・・続きは次へ。